2008年11月13日

証言・フルトヴェングラーかカラヤンか 川口マーン恵美

本年度のカラヤン本で個人的に一番星はコレ


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証言・フルトヴェングラーかカラヤンか 川口マーン恵美


「カラヤン」「フルトヴェングラーとカラヤンの比較」本は世にあまたあり今さら取り上げる必要性はあまり感じません。しかし今回読んだ「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」は今までとは違う切り口で語っておりおもしろい。なにより”証言”というのが大きなみそであります。それでちょっと取り上げることとしました。

さて本書で扱っている証言で語っているのは両巨匠(もしくはカラヤンのみ)の指揮の元演奏したベルリン・フィルのメンバー。

証言はフルトヴェングラー派の権化今は亡きテーリヒェンから始まります。痛烈なカラヤン批判の中には音楽的というよりは個人的な恨みのニュアンスも感じられたりしてなまなましい。そのテーリヒェンはカラヤンに対して批判的な著書を出版して他のメンバーから怒りをかっていることが他のメンバーの証言から分かったりとクロスして読むとなかなかいろいろな事が見えてきます。

証言しているのは以下のメンバー

ヴァイオリン バスティアーン
ヴィオラ ゲアハルト
チェロ フィンケ、ヴァインスハイマー
コントラバス ハルトマン、ヴァッツェル、ツェッペリッツ
クラリネット ライスター
ファゴット ピークス
ティンパニー テーリヒェン、フォーグラー 


フルトヴェングラーを知るメンバーはフルトヴェングラーとの音楽体験を感動的に語り、カラヤン世代のメンバーは帝王カラヤンの魅力を大いに語り比較的肯定的な話が多い。

一人一人感じ方が違う点(カラヤン就任時の経緯やフルトヴェングラーサウンドの継承について)、共通している点(両巨匠は比較出来ないという事、日本好き、カラヤンのヴィデオ撮影は苦痛であった事など)通して読んでみると一番身近で演奏していたオーケストラから見た両巨匠像が自然と浮かび上がっていきます。

著者の川口マーン恵美は親フルトヴェングラー派のようですが(意図的で意地悪な質問もありますが)なるべく中立にという思いが感じられ丁寧に分かりやすく整理されたインタビューとなっております。結論をはっきりと出さずに読者の判断に委ねた点もいいです。

個人的に読後の印象としてはフルトヴェングラーは芸術家でありカラヤンは音楽家、お互いに完全主義者的な方向性でフルトヴェングラーは音から表現されるものにカラヤンは音そのものを再現することに執念を燃やしたといったところでしょうか。

高齢の証言者がフルトヴェングラー時代にその当時の高齢のオケのメンバーが「ニキシュ」との比較を語っておりその感じが現在のラトルとカラヤン時代の比較やカラヤン現役時のフルトヴェングラーとの比較に非常に似ております。ベルリン・フィルと常任指揮者の演奏はちょっと時代の先を行っており、その事がベルリン・フィルの世界的な地位を確立する源になっているような気がします。

証言者の「音楽を愛する」気持ちが強く伝わってきて、なおかつ(一部を除いて)それぞれよい人生を送っているようで、これがフルトヴェングラーやカラヤンの不遇な晩年とは対称的で指揮者とオケのメンバーの精神的な負担の差を見るような思いがしました。

やはり現場の声は違います。これには高尚な音楽評論家でも足元にも及ばない説得力がありますね、大変興味深く楽しい著書でありました。






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posted by やったくん at 22:09| Comment(5) | TrackBack(0) | クラシック関連書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タイトルを拝見したときに、てっきりテーリヒェンの著作かと思っていましたが、別の本なのですね。複数のメンバーの証言というということで大変興味あります。是非とも読んでみたいです。
御紹介ありがとうございました。
Posted by dokuoh at 2008年11月17日 00:19
>dokuoh殿
コメントありがとうございます。
テーリヒェンの著作以前読みましたが、かなり極端な内容の本だったのを覚えております。今回紹介した著書にはそのテーリヒェンの著作についてベルリン・フィルの団員がどのように思っているを語っている部分もありました。
興味があればまた手にとってください。
Posted by 管理人 at 2008年11月17日 23:04
私はこれを読んで、ベルリンフィルハーモニーの楽員たちだからこそ語れるフルトヴェングラーとカラヤンの生の姿を知ることができました。
ベルリンフィルハーモニーの楽員たちには、フルトヴェングラーとカラヤン時代を経験した人たち、カラヤン時代のみという人たちなどさまざまです。その中で、エーベルハルト・フィンケがフルトヴェングラーもカラヤンを同じだったではないかと語ったことには、フルトヴェングラー崇拝者には傾聴すべきことだったといえます。
日本ではフルトヴェングラー崇拝者たちが多く、カラヤンをやたら排斥する傾向があります。
私は中学生の時、カラヤンを聴きに行きました。その後、いろいろな指揮者の演奏に触れるにつれて、カラヤンを聴くことが亡くなりました。1989年になくなってから、じっくり聴くようになり、今、フルトヴェングラーとカラヤンを聴き比べてみて、結局同じだったことに気づきました。
フルトヴェングラー崇拝者といえば、野口剛夫という気違いじみた人物もいるほどです。そうした人物がいることは果たしていいことともいえません。そろそろ、フルトヴェングラー崇拝も程ほどになった方が言いようにも思います。
Posted by 畑山千恵子 at 2009年01月07日 20:30
>畑山千恵子殿

コメントありがとうございます。

カラヤンの実演に接しているのは羨ましい限りであります。

「カラヤンとフルトヴェングラーが同じである」という境地には若輩者の自分には達しておりません。

野口氏は存じ上げませんのでコメントは差し控えさせていただきます。
Posted by 管理人 at 2009年01月13日 13:14
野口剛夫ねー(笑)
才能の無い作曲家か(笑)
才能のある方をあること無いことペンの暴力で貶め扇動し、自分が有名になりたい憐れなヤッカミさんだな。
Posted by 真澄 at 2014年01月24日 18:57
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